夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

補強としてのレッスン、トレーニング

レッスンやトレーニングは補強にすぎません。気づいて変えるための時空です。私はレッスンでは、声だけでなく、ことばの働きも重視します。感覚が磨かれるからです。本質をみるには、くり返すだけの練習では足らないからです。

 

 私は、カラオケ教室のスタイルは肯定しています。他の方法もどれも否定しません。それなりに実践が伴って、目的とニーズがはっきりしているからです。

 

 こういう関係について、ヴォイトレの定義や関係性があいまいなので、ほとんどの人はつかんでいません。ですから、本番への調整と本来のトレーニングの違いを、くり返し述べているのです。

 

 かつて、カラオケ教室や歌唱教室で、音程やリズムトレーニングをやっていました。うまい人はどちらにも行きませんでした。へたな人は、習って少しうまくなりましたが、アマチュアのうまい人並みにもいきませんでした。なぜでしょうか。結果を早く求められると、固めることを上達と思うからです。バランスと安定感が評価となるからです。

 

 バッティングセンターでは、慣れない人(特に女性など)は、バットにボールをあてようとして、あたって前にはねかえったら喜んでいます。くり返しているうちにあたるようになってきます。しかし、これでいつかちゃんと打てるようになるでしょうか。「バットにボールをあてる」のと「ボールにバットをあてる」のは違います。あたるのではなく、あてなくてはいけないですね。似ているようで逆のことです。笑わせることと笑われることくらい異なります。

 まずは、腰中心の素振りをマスターした方がよいですね。コーチが子供に教えるときはそうしています。ヒットを打つのと、バットにボールをあてるのは、目的が違います。必要とされる条件も違います。そこをみて、変えないと大した上達は望めません。

 

しぜんに伝わるとは

頭から入る人もいます。体から入る人もいます。いろんな学び方があります。表現から入る人もいます。声や体から入る人もいます。いろんなプロセスがあります。

 声や歌がよくても、そこで表現にならなければ、学ぶことが必要です。表現がよくなるには声の力もいります。しぜんに力を入れなくても伝わるくらいで、声が働きかければ、かなりよいと思ってください。

 そのためにトレーニングし、声を使い切って、表現力を伸ばしてほしいと思っています。

 しぜんにうまくいっているのが一番よいのです。トレーニングもレッスンも、それを補うものです。

一人でしぜんとできていたら一番よいです。そういう人はとても少ないから、すぐれるために人について学ぶのです。レッスンやトレーニングをするのです。その逆になってはなりません。

次のステップへ

演奏や実践に秀でたトレーナー、初心者の指導に秀でたトレーナーなど、いろいろなタイプがいます。それが見えない時期は、自分をみようとして、一所懸命やるとよいです。

 大切なのは、その自分を突き放して、次に進むステップを用意していくことです。その時期その時期に、あなたに必要なトレーナーもいるし、あなたに必要な判断や方法もあると思ってください。

 すぐれた人は、自ら生涯にわたり方法を変えていきます。方法はツールにすぎないからです。

 多くのトレーナーとともに行なっていると、トレーナーの直感を磨き、本人の力を伝えることの必要を感じます。表現できるようになることです。本人が考えたり、疑ったりしても、壁があっても、そこを突き進む力を与えることだと思うのです。

パターン化するレッスン

日本でよく行われているパターンは次のようなものです。

レッスンで正しい方法を教えてくれる。

それと違う方法は間違いだと教えられる。

正しい方法で調整して、よくなる。

その方法を技術(テクニック)として、習得して固める。

これで固めて進歩が止まる。

頭でっかちなレッスンでは、トレーナーの求める形がここにあるから、どうしようもないのです。

 こういう人は、自分以外の他の方法や他の理論に批判的です。他の否定において自らが肯定する人も多いのです。そんなことができるわけではないのですが、そう思う人が、教える人にはよくみられます。

すると、「どの先生(のやり方)が正しいのか」となり、「この先生(のやり方)が一番正しい」、「他の先生(やり方)は劣っている、間違っている」と思い込むようになります。

 そういうことは、一人のトレーナーと一つのレッスンで続けていると必ず陥ることです。

私は、2、3年そういう時期があってもよい、いや、そうなるのは当たり前のことと思います。そうして一所懸命やったことは身につきます。そして次のステップにいけばよいからです。たとえ、次のトレーナーと方向や判断が異なっていても、極端な話、正反対であっても意味はあるのです。

 それを方法だけでみると表現と対立するのです。あなたへのアプローチに、なぜそういう方法がとられたのかを考えてみましょう。それを知ってみる努力は怠らないようにしましょう。

固定化させないレッスン

ここで重要なことを述べます。同じことをくり返すことで固定させられるような技術ができ安定度を増すと、失敗は少なくなります。でも同時に新鮮味や面白み、凄さは欠けてきます。応用性も落ちてきます。

いつの間にか、高いレベルを目指すべきトレーニングが、安定し、リスクをなくすことだけを求めるように置き換わってしまうのです。

アーティスティックなことも、仕事になると、そうならざるをえないのです。そこで伸びが止まります。これは子供という天才が、大人という凡才になっていくプロセスと似ています。

 だからこそ、それを壊すためにトレーニングをしなくてはいけないのです。

 しかし、自分で壊して創れるのは、人に教えられたままに、でなく、自分で気づいて、たえずゼロに戻って試行錯誤して自分をみつけ、伸ばしてきた人だけです。つまり、独自の自分の世界、オリジナリティのある人だけなのです。そこは、一人では難しいので、レッスンがあるのです。ただ、レッスンの目的によって大きく違ってきます。

実践と表現

  同じスイングが10回できるということをつめていけば、それには確固たるフォームが必要であり、体力、筋力、集中力など、それを支えるものを補強する必要がわかってきます。試合で確実に実現するとなると、確実なフォームの再現に加え、それを臨機応変、変化自在に動かせる応用力が必要になります。モチベーションやリラックスできる力も必要です。

 トータルとしての柔軟な対応力が、ステージや仕事には必要です。それがないと続けられないでしょう。

 だからといって、こうした応用ばかりでやっていては、基礎が得られません。得ていたとしても狂っていき、応用が効かなくなくなります。柔軟性や対応力が劣ってくるからです。それは基礎的なことを固めない、あるいは固めたとしても、それを維持することを継続しないからです。

体での習得を知る

スポーツや武道を経験したことのない人には、あるいは、頭でっかちだと自覚している人には、今からでも簡単なスポーツを試して欲しいと思います。自覚できていない人こそ行って欲しいのですが。そこで頭と体やイメージの関係をつかみ直してほしいのです。声だけで行うのは、案外と難しいことだからです。

 結果が出るというのが、どういうことかを身をもって経験してもらいたいのです。フォームをみてチェックしてもらうのをコーチにつくならもっとよいでしょう。自分の感覚や体のズレとその修正法を客観的に教えてくれます。その結果を構造的に捉えてほしいのです。

 ゴルフやバッティングは練習場があり手軽です。バスケットやテニス、弓道、アーチェリー、ボーリングなどもよいでしょう。ダーツ、卓球、ビリヤードは、少しわかりにくいかもしれません。いかに自分の頭と体がうまく動かないのかを知るだけでもよいでしょう。

場を求める

「大きな声が出ていない」「のどでなく、お腹から声を出せ」と言われて、レッスンを受けにくる人がいます。「やっているうちにできてくる」とよく言われます。そう指摘されても、「どうすれば大きな声が出るか」、「どうすればお腹から声が出るか」は、具体的に示されないから、困って、ここにいらっしゃるのです。

 本人が「充分にやっていないなら、やる」ことです。やればよい。それで解決しないからトレーナーにつく。そこからでいいのです。

「必要性に応じて、場を求めて、次のステップに進む」ことの一例です。

 「やっているのに、やれていない」というのを判断するのが、本人よりトレーナーが厳しくしてこそレッスンです。その実現を目指し、具体的に進めていくのがトレーニングです。

「できていない」とわかること

トレーナーがつくのは、「どれが正しくて、それにどう合せて修正するのかを教える」ためと思われています。しかし、「どのように判断するのかを伝えること、その判断を満たすように、方法を試行錯誤させ、本人に編み出させる」ことがもっと大切なのです。

 でも、つい、「こういうふうに」と教えてしまうことになります。答えを知らせても、その解き方を学び、自分で実感できなければ、本当は何も変わりません。トレーナーの答えは、トレーナーのものにすぎません。

 最初はなんとなく「できていない」と思うだけで「何が」「どう」「できていない」のかが、わからないのです。

 でも、よくわかっていないことがわかっていくなら、一人で行うよりは、長い目でみるとずっとよいことです。

判断のレベル

バッティングのフォームづくりにたとえて説明します。バット(竹刀でもよい)を持って10回振ってみてください。そのなかでどれがもっともよかったか、直観的に選んでください。何となく選べるはずです。素人である私なら、それと同じスイングを10回くり返すことができません。野球部員なら、私よりもそろったレベルからスタートできるでしょう。

これはスイングの違いが何センチメートルくらいの幅で認識できるのか(判断力)、実際に振って調整できるか(再現力)の能力の差となります。イチローなら、その差はミリ単位でしょう。ボールを投げる側で例えてもいいですね。距離、スピード、コントロール力と、今はスピードマシンで測れるからわかりやすいでしょう。

 人それぞれ、スタートのレベルが違います。2、3ケ月たつと、その人なりに調整できるようになってきます。少しコツがわかるのです。そういう判断力や修正力がどのくらいあるのか、またどのくらいついてくるのかが、その後の伸びの違いとなります。それはスタートのレベルの違いよりも大切です。

 トレーナーは、あるレベルまでは、本人よりも正しく選べます。声は判断しにくいものだから、その指示に従えば、修正へ効果的に進めていけるでしょう。少なくとも本人よりは客観的に聞くことができるのです。しかし、その客観性は、客観ゆえの限界があるのです。高いレベルでは、表現性に伴って判断は変わります。磨かれた本人の感覚が、そのレベルを逆転するようにしていくように育てることです。ここでは直観的に知っておいてください。☆

「ハイ」の再現力

私のメニュのなかでの基礎のチェックです。

1.「ハイ」を10回言ってみる。その中の一番よい「ハイ」を選ぶ(判断力)。

2.選べなければ選べるようにする力をつけていく

3.その「ハイ」を10回言う。言えなければ言えるようにする(再現力)。

次のステップとして、

4.「ハイ」のなかで一番よい「ハイ」を選ぶ。

5.以下「ハイ」をくり返していく。

これで私のヴォイトレの基礎のすべてといってもかまいません。これに伴う考え方としては、

1.今のなかで、もっともよい「ハイ」をよりよくしていく。

2.今のなかで、そうではない「ハイ」を今のもっともよい「ハイ」にそろえていく。

このもっともよいは、今のなかで、ですから、もっともよいといっても、その人のなかでは、ましな「ハイ」に過ぎません。

「ハイ」を使う理由は、「基本講座」を参考にしてください。

 これを、グレードのようにランキングしますと、「ハイ」=Hとして、10個のHのうちの1つが勝ち抜き、レベルが1つあがる、以下、同じように、それを10個くり返し、そのまた10個のHのうち1つを選んでいく。もちろん、もっと下位から始める人もいるでしょう。すべては例えです。「ハイ」や10個というのは一例であり、現実的にはそれぞれを母音、子音、ハミングなどで、発声練習で行っているわけです。

レベルA H(1つの「ハイ」)

レベルB HHHHHHHHHHHHH(10の「ハイ」) 

レベルC HHHHHHHHHHHHHHH…(100の「ハイ」)

レベルD HHHHHHHHHHHHHHHHH…(1000の「ハイ」)

あてになるヴォーカルに

作曲家やプロデューサーは、ヴォーカルのフレーズでのデッサンを当てにしなくなりました。いや、もともと当てにしていません。アドリブ、スキャット、即興は、日本では普通はありません。形だけ合わせる歌に、未来はありません。

 海外ではオリジナルのフレーズに対し、トレーナーは、応用技を伝えています。日本ではその前にフレーズを、音色を、さらにオリジナルのフレーズを養成するところから必要です。いえ、そういうことであることを気づくところから必要です。

そうでないので、いくら海外のトレーナーについても真の実力としては大して変わらないのです。それは、そういうことをした人たちの声からも明らかです。ヴォーカリストでなく、トレーナーとしての権威づけになるだけです。