私は「方法とメニュでなく、基準と材料を与える」と言ってきました。息や声は一時、表現から切り離して、体中心に理想に整える。息吐きなどで条件をつくる、鍛えるということです。
英語を話すのに息を強く吐くトレーニングをしていたら、バカのようにみえるでしょうか。私はそこからヴォイトレととらえているのです。
ですから、ヴォイトレでは
1.フィジカル、表情、しぐさ
2.メンタル、心、感情
を同時に扱っていきます。スピーチやプレゼンテーションでの疑問点や相違点もわかりやすくなるでしょう。
プロは身内でなく、第三者(初めて会う人)に通じる力、プロが(ほかの分野のプロも)認める力が必要といえるかもしれません。
フィジカルでも、脳科学を使った方法で、画期的にうつ病や認知症などが治ったという事例がたくさん出てきています。しかし、かつてのロボトミー(脳梁で左右脳を分離する手術、後遺症が出て→失敗)などと同じで、誰かに一時、プラスであっても、一般化については、短期的にみて、すぐに肯定してよいものではありません。
研究や実験は大切です。それで進歩していくところもあります。しかし、客観的な評価ができると限らない分野もあります。科学的という売りに振り回される人が少なくないのは、どの分野も同じです。試みにすぎないのに、理論・理屈や検査で安心したいのです。人より機械やコンピュータ、実の声よりも理論を信じるようになってきたのです。どんな体験談も検査値も、必ずしも自分に当てはまるものではないことを知っておくことです。
医者(他人)を信頼するだけで、かなりのことはよくなるのは確かです。医者やトレーナーを頭から疑ったり、比べて欠点ばかりをあげつらうのは、本人の成長のためにはお勧めできません。
その人の性格や考え方が、その人をつくってきているのです。一時、少なくともレッスンでは、我というものを離してみることです。他人のように自分を眺められるようになることが大切です。そのことが芸を高める条件でさえあるのです。