ヴォイトレというのなら、声に向きあうことからです。そこを原点としてください。体の肉声を出すこと、その上に声量、発音や声域があるのです。
急がないことです。声に向きあえないのは、覚えることや間違えずにくり返すこと、せりふや歌詞に加えて、ピッチやリズムといった楽譜に囚われてマスターしようとしているからです。
ある意味では、こういうものは「同時に、一瞬に得る」ものです。そこを経験したら、また細かく分け、順序だて、一つ上の次元を目指すのです。そのための体を用意し、感覚を磨いて、保つのです。
せりふも歌も声で仲介するメディアに過ぎないのです。どんなことば、メロディでも、それを正しく再現すればよいのでなく、演者が魂を吹き込み、ありありとしたリアリティをもたらさなくてはなりません。やらされている、歌わされている、すごかったもののコピーをしているだけ。それでは、ディズニーランドです。