強い声、強い喉は、歌手や役者の必要条件ではなくなりつつあります。それがあれば万全といった充分条件にはならなくなりました。今の私の立場での見解です。
ただし、トレーナーとしてのありようとは別です。組織として、一緒に教えるトレーナーの条件としては必要なことです。
ヴォイトレは、発声―呼吸―体と変えるのです。そこで共鳴の専門家である声楽家は、この支えが必要条件になっています。1万時間かどうかはわかりませんが、5年から10年のキャリアで基礎ができてきたねくらいにしかならないくらいの研鑽を積み重ねているからです。邦楽も同じです。
ここのトレーナーは一声で差を示せる感覚、体をもっています。それを伝えることができます。一般の人を納得させる、トレーニングしていないと出せない一声があるのです。
これについての異論、異なる見解はあるでしょう。私もわかります。しかし、声ゆえ、聞いてわかるというシンプルなものでしょう。経歴や肩書をみなくては判断つかないなら、その方がおかしいのです。