かつての私の方法(もし、そのようなものがあるとするのなら)は、プロ志向の人向きでした。全国でレクチャーをしていたのですが、地方在住の年配のトレーナーに「かなりモティベートと心身のある人でないと対応できないのでは」と、言われたこともあります。貴重なアドバイスと思って受けとめました。プロや一般の人に対応していく、その後の指針にもなったわけです。
当時の立場は、昭和の頃の、歌唱指導(声楽も含め)に対し、アンチなものにならざるをえなかったからです。そのことは音楽之友社「読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本」に詳しく述べました。
プロのレッスンから始めたので、その理由もわかっていました。曲を正しく覚えて、すぐにレコーディングにもっていかないと間に合わないプロに、基本の基本からやり直す時間はありません。その頃は専門的な要求レベルの高い人しかこなかったので、心身共に恵まれた条件をもつ人が多かったのです。一方で、地方に限らず、その頃、ヴォイトレをするのは喉の不調で医者に行かざるをえない人と同じ層、つまり、自分の心身が自分でコントロールできない人が多かったといえます。歌うのにトレーナーについたり声の不調で医者に行くような時代ではなかったのです。
それが、ヴォイトレの成果をわかりにくくするとともに、その人たちの声での表現の限界をつくってしまっていたのです。
当時のプロは、プロなりに感覚と心身はすぐれていたと思います。ただ、今はさらにそうなってしまいましたが、国際レベルでみると、声の力が絶対的に不足していたのです。先人をのりこえるためにトレーニングがあるのですから、ハードなのは当然でした。ずっとこういうことをしっかりと伝えるべきと思ってやってきました。