ときどき言語聴覚士(ST)と、仕事をやっています。声のつくりや名称については、厳密にしなくてはならないと感じることがあります。医者と話すときも、専門用語や薬の名が出てきます。
しかし、一般の人なら、私がヤマハで出した「声のしくみ」で、知識面はおつりがくるでしょう。
たとえば、発声やスポーツで上達するのに、感覚でなく現実に正しくの体を知ることが必要と唱える人がいます。
こういう傾向がトレーナーにも多く、体幹やコア、ハムストリングスまで言及されるようになっています。研究所のトレーナーのQ&Aのアンサーにも、出ていますね。
私は専門用語はあまり使いません。それでわかった気になってもらっても仕方ないからです。解明されていないことがたくさんあるので、決めつけて、あとで迷わせたくもありません。
机上の理論で悩む暇があれば、自分の体、声を使い、練習することです。
たとえば「舌はとても大きい(牛タンを見たらわかりますが)」ということを、マッピングしたところで、発声にどうプラスになるのでしょう、舌がどこまで続いているかは、もとより、体は一つであって、命名したところで区分されているのだけなのです。西欧医学の一処方としてあるだけです。
舌のリラックスができない人がそう捉えることで、リラックスできるなら、よいと思います。しかし、私はイメージで、感覚で描かれた図のような、新しいマップを自分なりにつくって体を捉えて直すほうが有意義だと思います。
私の本には、意図的に最低限しか入れていません。そういう図版がたくさん入っている本もあります。
研究所にも、解剖図や人体の模型があります。発声の状態のみえるソフトもあります。人の体に関する本も、専門書から一般書まで、ここ1年に100冊以上増えていきます。ターザンなども毎月、読んでいます。
しかし、それがどう役立つかは、疑問です。疑問が問いになるために、私は読んでいます。何らかの結果、かたちになっているとは思っています。そうしないより、そうしたほうがよいと、私の何かが、そうさせています。皆さんにも、そのくらいの距離をとって、科学や知識とは接した方がよいと、忠告します。
それを求めても大して現場で役立つものではありません。だからこそ、接しているのは大切かもしれません。体やその働きを正確に知るのは、合理的や理論的にみても、自然や神へのアプローチの一つなのです。それは、アートをつくっていく人には、大きなヒントになります。でも、もっと大切なのは自分のイメージで膨らませることです。そこに出口を求めることを忘れないでほしいのです。