リラックスは、プレーの前提です。でも、プロセスにおいて、リラックスを覚えることとトレーニングは別です。何をするにも慣れるまでは、緊張して、心身を固めてしまうものです。ですから、心身をリラックスして発声すれば、よい声は出ます。
プロのアスリートでも、歌やせりふとなるとリラックスできない人は少なくありません。こういうケースは同じことで、充分にリラックスしている時の声が取り出せたらよい、というレベルです。接客や面接での声が目的ならそれでよいでしょう。私がバッティングセンターでリラックスしていれば、少しはうまく打てるのと同じです。でも何かおかしいと思いませんか。それで本当によいのでしょうか。
それは、自分の100パーセントの力を出せたら、それでよいという場合に限るのです。
慣れないことをすると固くなるのをほぐす。それは前提です。しかし、私が、もしプロ野球で活躍したいと考えたら、それが入団テストなら、誰も「リラックスしてこいよ」とは言わないでしょう。リラックスも実力がなければ何ともならないのです。ギターやドラムの演奏でも同じでしょう。
なのに、声や歌は、発声であり、声は出せるから、初心者などはなくて、リラックスしたら誰でも通じる、つまり、カラオケレベルの目的をとるようになってしまったから、却ってヴォイトレがわかりにくくなったのです。
目的は、あなたの求めるレベルによって決まってきます。声の出せない人のリハビリに、言語聴覚士はリラックスを中心に声を導きます。元に戻ればよいのなら、それでよいでしょう。しかし、元の発声ができない状況、あるいは、元々できていない状態で行うとしたらどうでしょうか。
声そのものを音として取り出すことに向けて、強化、鍛錬しなくてはいけません。それも、新しいやり方で行うと慣れるまで力が入ります。リラックスしてできるまでは仕方のないこともあるのです。
このプロセスで、一時的に脱力できない状態を経ずにリラックスできるなら、それはできているのです。ですからリラックス本位の方針は、新たなレベルに達するトレーニングでなく、調整や現状維持のトレーニングとなります。極端にいうなら、リハビリテーションなのです。