若い人に全力で全身から声を出す経験を与えないことが、日本の声力の低下をもたらしています。歌唱やセリフ、いや、発声の前に、声というものの、もっともベーシックなところでの、トレーニングを行う必要を、私は提示しています。それが必要な理由は、オリジナルなフレーズとして使うためです。それは自由な声の条件として必要です。そこで、外国人ヴォーカルのフレーズ処理からメニュの材料をストレートに与えてきたのです。イメージでは慣れてきます。声がイメージに伴わないところでねばるのです。
声の器づくりとして、強い息や大きな声、深い声などを模倣して、急にたくさんやったり、休みを入れずにやったりすると、声が潰れるリスクが高まります。これは、トレーニングとか、メニュとか方法以前に、当たり前のことです。発声の原理にあまりに反することをはやめましょう。
感覚的に心身をトレーニングするには、今の自分の発声の限度の把握が欠かせません。いわゆる常識的な判断のことです。こんなことまで言わなくてはいけないことが、今の日本での、声のレベルの低下を示しています。
かつては、無謀と思われる悪環境での大声トレーニングでさえ、トレーナーや受講生は鋭い感性で、喉を守っていたと思われます。なかには無神経なまま、痛めた人もいるでしょうが、タフな人も多かったのです。そうして覚えていったのです。
感覚、感性は鋭くあるべきです。ハードな条件を課して、得ていくことです。