まずは、真剣に取り組んでいるか、そこからでしょう。目的を声に定めるとは言いませんが、ヴォイトレが声でなく、別の「○○のため」で、本質をみえなくしてしまうことが少なくありません。例えば、「声の研究のため」といい、分類したり、いろんな声をまねてみたりする。それだけでも大したことをしていると思われるほど、他にあまり取り組んでいる人はいないのですが。これも、自己満足のための勝手な分類で使えたものにならない声で揃えているのが目的になってしまいます。つまり「研究のため」が本質をみえなくしているのです。
実験のステージなどというなかにも、私の見聞きしたものでは、自分や表現からの逃げになっているのが少なくありません。まさに、なんでもやればよいくらいに投げやり、基準がないから吟味がないのです。丁寧でない、やりっぱなしです。実験というならなら仕方ありませんが。