何事も、教えられたとき、その言動そのものを学ぶのではありません。なぜそうした言動が出てくるのかの枠組みを学ぶのです。それを捉えることからはスタートできないときには、形から入らざるをえないのです。
少なくとも、自分以上に相手はできている、そうなるまでに考えてきて生きてきている、プロとして人に接し、生計を立て、実績をもっている、そうならば、その獲得には自分が思う以上に、どれだけの条件が必要であるのかと…私は、若いときに考えたものです。みえるところでなく、みえないところに何があるのかが肝心なのです。