夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

心身の自立

トレーナーの期待に応えようと、まじめで熱心で心やさしい人は、そこで身構え、緊張し、うまくいかないことが多いです。それは、トレーナーに振り回されているのです。そこから自立することが先決です。自分を取り戻さなくてはなりません。自分の体、心であってこその自分の声となるのです。でもレッスンに慣れることで、必ず先に行けます。

ゆっくり得ていく

ことばは、ときおり、大いに邪魔になることがあります。心身を捉える、特に自分の身体で対話すべきレッスンを、話、おしゃべりで邪魔されてしまうときが少なくないのです。ただでさえ、そこを気づかないできた人は、ことばでわかろうとします。疑い、不安、迷いからの質問は、本来、タブーです。考えてもよいことがないのです。

 抵抗感、照れくささで、レッスンに入りきれないままに進めないようにしましょう。

 ゆったりしたところでないと、深い呼吸などはできないです。効率を考え、早く身につけたいという頭が邪魔をします。

 一つのレッスンで十のことを覚えなくともよいのです。たった一つの違いが感じられたら充分です。十のレッスンで一つ気づいてちょうどよいくらいなのです。食べることと同じ、ゆっくりと噛んで味わうべきでしょう。

邦楽的共鳴

首の位置はまっすぐにします。顎を引くだけでなく、それよりも体の真上にのせておく、マネキンのようにです。日本人の軟口蓋のあげ重視は、やや行き過ぎのように思えることがあります。鼻にかかるオペラ歌手のように、です。藤山一郎近江俊郎の発声などは、日本人には向いていてわかりやすいのでしょう。

 鼻にも喉にもかかり、高音においては、固定して操作された動かし方は、単調でふしぜんになりがちです。邦楽にもよくみられます。中低音の音や低音に重きを置いているのかもしれません。

 物理的、楽器的でない、人の顔の響き、声楽は頭、胸の共振感覚をもちますが、邦楽は喉と顔感じるようにも思えるのです。

 ドスやかすれも含んだ独特の個声、「浪花節だよ人生は」の悪役者声、ヤーさんの仁義を切る姿の声をイメージできますか。

身体と心身脱落

身体、体と身はどう違うのでしょう。体は、そこにあるモノとして、身はそのモノの内身、実をも含んでいます。心身というのから考えると心―心身―身体―体のように分けられそうです。

 ものや人へのこだわりや執着から抜けることが肝要です。発声やヴォイトレということから抜けること、そこで抜けられないから声を使うともいえます。声を使って忘れるのです。音楽を聴いて現実を忘れたり、カラオケで心を真っ白にするのもよいでしょう。そのとき声も(歌も)忘れる。自己も忘れるのです。心身脱落を目指してください。

 声の根っこには何もない。実体がないのに発せられ、伝わるのです。自分の集まりが発散されていく。そのときに自分の体のなさから悟っていくのです。「身心脱落」とは、道元のことばです。声も下脱するのです。

課題のレベルアップ

どんな練習も少しずつ難しい課題にしていきます。同じことをずっとはやりません。もし、同じことなら、より精密にやるようにしていく。そうすれば、同じように難しい課題になります。

それは基本として応用を基本に巻き込むために必要です。つまり、普通の人の器の外にある応用を器の中の基本としていくのです。それが、器を大きくするということです。

 あるいは、基本で同じことを深め、異なることに応用していきます。つまり、次々と異なることに応用で展開して基準をチェックするという方法もあります。

ワープする

そうなるのは当たり前のこと、つまり、一度できことをできないことにして、また、できるようにしていきます。できたことがくり返せないのでなく、できたことを当たり前として、次に、同じことをしても、まだできていないとみるのです。つまり、基準自体を上げるということです。同じ次元でなく、一段上に、螺旋状のようにしぜんに上に行くのが理想です。

 上に行けば、みえにくくなります。そこに何らかの壁を与えなくては、その上に行けなくなるのが普通です。上がり切ったらどうするのか。ワープするしかない。そこで初めて、これまでの自分を超えるのです。

 それには、これまでと異なるレベルでの課題を与えないと解決などできないのです。その連続、レベルで見ると、螺旋的なアップのくり返しこそが、トレーニングの目的、レッスンのセッティングの意味なのです。つまり、上がり切るまで上がる、そこまでトレーニングするのは、上がるためでなく、そこから先のためなのです。

柔らかさ、しなやかさ

しぜんなものは、柔らかく丸いのですが、マニュアルで考えてしまうと、しゃちこばって固くなります。そこから、しなやかに柔軟にしていくのかがレッスンです。このときに、くり返しでの慣れ、つまり、惰性でできることもあります。また、それだけでなく、そこでの限界を超えることを考えておく必要があります。

 固い、柔らかいの変化に終わらず、そこから上のメニュ、柔らかい+固いをセットしていくのです。角を落とすだけなのと、つるつるに研磨されるのとは、手間の違いだけでなく、求める完成度の高さの違いです。柔らかい―固いを対立させ、次に柔らかくなる前の固い状態を、「間違っている、やめるべきだ」という、解決法が一般化してしまったように思います。そうでなく、そこは、プロセスとみて、次をハイレベルに課題の設定をすることです。これは、しぜん―無理(強い)、調整―鍛錬、状態―条件づくりの関係と同じです。

腹式呼吸の否定論

腹式呼吸を覚えましょう」では、大概、すまないのです。例えば、そのために自由に歌えなくなる人がいます。それは、プロセスですから、もっと使えるようにならないと歌やせりふに使ってはよくない結果となるものです。「腹式呼吸など覚えるな」と言うトレーナーもいますが、それはこういうわけです。

 つまり、変えるにも、馴染んでいなくては、そういう体での感覚、呼吸、筋肉群の力がないから、使ってもうまくいかなくなるのです。時間をかけてそれを身につけて、使えるようにしていくのが、唯一の解決です。

 外国人は、このレベルでの深い呼吸、声を日常ですでにもっていることが多いものです。彼らに日本人が教わってもあまり変わらないのは、そういうことです。

 鼻呼吸などを教えられ、口を閉じて無理を強いられてふしぜんになっているときは、元に戻す必要があります。

呼吸法☆☆

バレエのように、元より日常とは、違う歩き方や踊り方を目指すものは、新しいこととして習得するのでわかりやすいでしょう。呼吸は、日常、誰もがしています。人前で、せりふを言うため、歌うためには、高いレベルで必要とされるため、使い方は違うのです。正しい呼吸というのではなく、深い呼吸、高度に声をコントロールできる呼吸を覚えていくためのアプローチが、呼吸法、型です。

 習得していくと、呼吸も発声も日常で使うものだけに、日常にもそういう深い呼吸、深い声が使われるようになってきます。つまり、一体化していくから、さらにわかりにくいわけです。

呼吸☆☆☆

呼吸法など、一般的に、法というのは、型と同じく、そのまま実践で使うのでなく、実践時に自由に無意識で使えるようにするための体系です。具体的に例えるなら体操のようなものです。本番になると緊張するから平時のリラックスを覚えるというレベルで呼吸法が使われるから、余計に混乱します。

 型に押し付けて、そこでまねにまねて、つまり、鋳型に入れて、とことんやって型を脱し、自分のスタイルを見つけるというのは、スポーツ、芸事などによくある考え方です。しかし、これも誤解されて適用されていることが多いです。全員同じようにやるからです。本当は、一人ひとり違います。

 自由にできないのは、日常のリラックス状態に戻れないからではありません。日常レベルにプロの技量でできるような人は、ほとんどいないのです。プロでも本番で非日常モードになります。リラックスは、日常での縛り、慣習、くせをとるためのものにすぎません。

理論の分化と身体意識

理論づけしないと使えない、納得できないとできないという人には、それなりに理論づけしています。しかし、理論というのは、他の人に継承されても実践で全く異なっていくのです。すると、実践をみて、その理論の元のものまで否定されるようになりがちです。

 発声も、日常の声の使い方、動かし方の延長上でなく、質が違う、次元が違うのに、混同してしまうわけです。

 自分というのは、身体全てであって頭はその一部です。しかも、脳だけで考えているのではありません。

声に問われることは、身体を意識することです。特に呼吸へアプローチするからです。体という構造よりも全身の機能を重視するべきです。まして、喉だけにこだわり過ぎるのはマイナスにしかなりません。