理論づけしないと使えない、納得できないとできないという人には、それなりに理論づけしています。しかし、理論というのは、他の人に継承されても実践で全く異なっていくのです。すると、実践をみて、その理論の元のものまで否定されるようになりがちです。
発声も、日常の声の使い方、動かし方の延長上でなく、質が違う、次元が違うのに、混同してしまうわけです。
自分というのは、身体全てであって頭はその一部です。しかも、脳だけで考えているのではありません。
声に問われることは、身体を意識することです。特に呼吸へアプローチするからです。体という構造よりも全身の機能を重視するべきです。まして、喉だけにこだわり過ぎるのはマイナスにしかなりません。