頭がよくて、すぐに「わかった」と言う人が多くなったように思います。私も、若いときは、内心わかったと思っても、後日、わかっていないことがわかったことの方が多かったです。わかっていてもわかっていなくても、できることが問われるのですから、わかることは専念することではありません。
音声学も発声の原理もわからないというプロ歌手が、全世界でもほとんどなのです。それは、大して必要ないと思ってよいのです。しかし、何もないよりは活かせるのなら10分の1くらいの力になると思って学ぶのはよいことです。
わかっていてできないより、わからなくてできる方がよいのです。なかには、そういうプロが理論をわかったらもっとよい歌になると言う人もいますが、そうでもないと思います。
喉の病気になって、そういうことも必要なら、わかるようになるのでもよいのです。つまりは、実践より理論のアプローチからわかろうと入る人は、あまりこういう世界に向いていないということになります。必要以上にリスクに囚われるのはよくありません。
できないということはわかっていないということともいえますが、大してできないのに活動がやれていたらもっとよい。それは、もっと可能性があるということです。
声がよく歌がうまいのに、認められない人、できているのにやれていない人の方が、問題は大きいのです。声が悪く歌が下手な初心者よりも、プロになることでは難しいのです。
ステージができて歌が下手なら歌の勉強を、歌ができて声がダメなら声の勉強を、それが、まっとうな順かもしれません。