同じことでは、ずっと読んでくださっている人に失礼なので、もう少し踏み込みます。
私は、現場での、現実対応を強いられてきて、それゆえに続けてこれたトレーナーです。基礎のための基礎について、理想論とかきれいごとは言いません。
歌い手や声優にも、声より大切なものがあれば、声を捨ててでもよいと伝えます。声や歌のよさだけで、判断されることばかりではありません。安直に「どの声がよい」とか、理想や見本として、「正しいのはこれだ」と決めたり、押し付けたりすることを用心しています。
私は、私以外のトレーナーや外部のトレーナーのやり方を批判しているのではありません。そのよいところも悪いところも含めて、研究所のなかで実践しようとしています。まずは、取り入れることがもっとも大切だからです。受け入れるところからスタートだということをわかってください。
トレーナーのメニュや方法をとりあげて、その正当性など論じるのは、ばかげたことです。7割くらいは当てはまるというのが一般論ですから、そこを論じても部分にすぎません。
何パーセント高めるとかというのは、論じられる対象ではないのです。方法、メニュ、判断についても、ある条件下でしか、突き詰めることはできません。その条件は記述しきれないのです。ですから、どんな理論にも反論はできてしまうのです。