ヴォイトレは声のトレーニングですが、道ということでいうと、もっと総合的なところへ開花していくのです。
声は変っていないのに、本人がとてもよくなったと喜んでいる、そういうことは昔からよくありました。私が間違っているのかとも思いましたが、それで正しい、つまり、私の判断がどうであれ、本人も周りもよいとなっていたら、何ら文句もないわけです。それが声に実現していけばよいのです。ですから、ヴォイレの成果などは一目瞭然です。
そのためにメニュもレッスンも、トレーナーさえ消えるのを理想としています。自立して自力がなければ、その先は通じません。その人にメニュやレッスンやトレーナーの形が残らないように伝えなくてはなりません。
なかには声と、別のことでうまくいくようになる人も少なくありません。私自身、ある時期、徹底して声に専念しましたが、それで声以外のこともいろいろ叶うようになりました。他のことは、声にヴォイトレにかけた時間や量などからみると些細なものです。ここを語ると長くなるので、拙書「読むだけ…」を参照してください。