「まず楽しみましょう」という人の行うヴォイトレのワークショップやカルチャー教室は、きっかけとしてはよいと思います。それをトレーニングとは思わないことです。体験する機会として行われているからです。私も似たことを導入としてやったときもあります。しかし、そのままトレーニングに結びつけられないのは欠陥です。
バッティングセンターでも100回振るのではなく、いいフォームを100回みて、1回振る、イメージ通りに一回振るために、バッティングセンターの外で、素振りを100回振る、そのための筋トレをすることです。本来の上達は、そこからです。
声や歌も同じように考えてよいと思うのです。歌い込みが大切なのは、表現でのオリジナルのフレージングのレベルでのことです。基礎は、何回も聞き込むこと、100回聴いて全身全霊で1回行うのです。そのために別にヴォイトレの時間をとって、声を鍛えておくことです。
量だけでも、質だけでも足りないのです。このようなことに時間、量をかけることで、質とつながるのです。そこを区分しておいた方がよいということです。このあたりを、レッスンと自主トレの関係と私は考えています。
家では、思う通りにやりたいだけやればいいのです。よくわからなくなってもよいのです。それに指導や方向づけを与えるのがトレーナーのように思えます。本来は一流のアーティストやその作品からの天啓です。その代りとして、トレーナーが部分的、ある時期、関わっていると考えてください。