世界へ出ていくサッカー選手や野球選手はよい参考になりますが、ダルビッシュのアメリカでの活躍もその一つでしょう。渡米前、「技術でなくパワーそのもので世界に挑戦したい」と言っていました。技術で勝っても本当には評価されないから、パワーで打ち勝ちたいということです。日本人も、チェンジアップや変化球で買われていたピッチャーだけでなく、野手も大リーグに出ていけるようになりました。イチローのマジックのようなバッティング技術も足も、当初はベースボールとして認められなかったのです(ボクシングでも、ヘビー級がメインなのは、フライ級とか、モスキート級という命名でもわかりますね。小が大を制する美徳を持つ日本人なら、ハエ級、蚊級とはつけないでしょう)。
圧倒的なパワーで勝負できないから、技術で勝負しようというのは、大国に対して小国日本の指針でした。大柄な外国人に対し小柄な日本人のとってきた方法です。しかし、156キロを出せるダルビッシュだからこそ、その負けん気に火がついたのです。
ところが、初戦から、そのパワーは通じず、変化球主体の投球に変えざるをえなくなります。すべるボールと固いマウンドで、コースが定まらず、シーズン半ばにして大ピンチとなります。そこで、大リーグのコーチは、変化球主体の組み立ての指示を止めます。ダルビッシュは、プライスの投球をみて、ただ足を上げて投げることしか考えていない、リラックスの大切さに気づきます。自分が小指側からついていた足と、彼のベタ足でのつきかたの違いに気づき、改めます。マウンドの土の固さの違いから、ダルビッシュのフォームは不利だったわけです。
本場のコーチも気づかなかった、本場ゆえ気づかなかったのです。そのことに、重要な示唆があると思うのです。