長期の絶対量からは、効率的ではなくても、フィジカルやメンタル面で、得たものが多々あったと思っています。自信も、人より時間や情熱をかけたということにしか根拠はおけません。継続していくことの大切さを身に入れました。その上でようやく、今の自分を把握して、うまくバランスをとれるようになります。
そうこうしているうちに、体調が悪いときにハードな練習を行って、悪化させるようなこともなくなりました。無理ができなくなったともいえますが、年を経ると、その分、知恵と技術がつくものです。
若いときのトレーニングは、昔とった杵柄で、体に記憶されています。声を扱う喉のマッスルメモリーは確かにあります。他の筋肉よりも微妙にコントロールしなくてはなりません。
この辺りが、「声が太く鍛えられている人は、どちらかというと音楽的に鈍く、器用で音楽的な才能に恵まれている人ほど、声は鍛えられていない」という、日本人の独自の問題があるように思います。私は、そこをずっと追及してきたのです。
なぜ、日本人は(特に歌手)、デビュー時でマックス、その後、3、4年で歌唱力が落ち、平凡で器用なだけになるのか、向うの人のように、いつまでもしぜんに声を扱えないのか、それを取り巻く環境と共に研究し続け、ヴォイトレに結び付けてきたのです。