研究所のレッスンは、集団グループからマンツーマンに移行しました。多くのトレーナーや生徒さんが通っていると、いろんな考え方が持ち込まれます。未熟かつ柔軟な組織だったときは、その場の相手との対応で自由にできていたことが、形ができて、それを求められるようになると、メリットとデメリットの兼ね合いも、優先度も変わってきます。
一律の判断が、基準として求められると、7割の人にはよいが3割の人にはよくないという、まさに民主主義の欠陥のようなことが出てきます。その3割のなかに一人でもすごい人がいたら、そこへすべてを絞り込む方がよいという考えはとりにくくなります。巷では、1割にも満たないクレーマーぽい人のために全体が不利益を被り、いつしれず、存続させることが目的になり、サービス面での成果を出すことが目標になったところが数多くあります。それだけは避けてきたつもりです。
「アーティストたれ」を掲げて発足した研究所は、この目的だけでは、5年ともたなかったことでしょう。それを死守するなら、私自身が5年で潰したはずです。2000年の時点で、ここは「声に関心をもつ人なら誰でも来たれ」になりました。声に関わる分野が広がって、深く絞り込まず、拡散していく方にいったわけです。それをずっと突き詰めようとしてきたのです。