たとえば、研究所の発足当初は、時間など誰でも気にしませんでした。劇団のように、最初のレクチャーで3~5時間連続でしたが、誰も去りませんでした。2時間でも長すぎるという人が出てきたのが1997年頃で、転機とともに第一期の終焉でした。
私のところは、当初は、いらっしゃる人も、時代の波から10年くらい遅れていた人と先に行きすぎていた人が多かったのが最大の長所でした。バブルから後の日本、特に音楽の業界の動きは、私の望む方向と真逆になりました。研究所が生き永らえているのが不思議なほど、日本で歌の価値、声の世界が縮小したのです。
当時、「レッスン時間が延びては困る」というような人が出てきたのに驚いたのを覚えています。今では、それはあまりにあたりまえのことなので、そのことに驚いたということに驚くくらいです。