自分の感覚で正しいのに、トレーナーは違うと言う。
トレーナーは正しいと言うのが、自分のではピンとこない。
ときたまみられることです。私のところは、2、3人のトレーナーが担当しているので、そのことを検証する機会をもてるのです。
どの声が正しいかでなく、トレーナーの判断の違いがどういう価値観に基づいているかということです。このときに、私なら必ずしも「トレーナーに合わせるように」とは言いません。トレーナーの方が経験も耳も肥えているとしても、です。
ここで正しいと言い張ることを認めたうえで、その根拠を問います。質問するのでなく本人が何をよしとしているかを声そのものでみます。よほどの人以外は、嘘ではありませんが、よいとか正しいという声の範囲が定まっていないと、自分でわからなくなります。
困るのは、くせ声での快感や個性的という実感です。高く出したりハスキーに聞かせるようにしてつくった声です。大体は体で支えられていないものです。そういうときは、その柔軟性の応用力のなさを問います。しかし、それを使えないというのではありません。区別するのです。
どれでもよいと思いつつ、柔軟な声に絞られてくる時間を待つ方がよいのです。急かされない限り、私はゆっくりと待つつもりで対しています。ただ、聞くだけでも、少々方向づけたら声は育っていくのです。