すぐれたトレーナーでも、いや、すぐれたトレーナーゆえ、そうでないタイプの人にはうまくいかないことは、声の場合は、よくある、どころか、あたりまえのことです。構造的に、トレーナーの長所が、レッスンを受ける人の誰かには短所となるのです。トレーナーの他の人よりもすぐれた資質が、学ぶ人にはネックにもなりやすいのです。
トレーナーの能力を、クライアントが本当に伸びることの結果でみると、案外と、だめなアーティストがよいトレーナー、だめなレッスンゆえによいレッスンとなっていることがあるのです。
だめなというのは、トレーナー自身が、声でうまくいかず悩み努力し尽したということではありません。悩んでがんばっても、解決しないこともあります。そういうコンプレックスが邪魔することもあります。そうした苦悩をたくさん抱えた経験がないと、よいトレーナーになれないのは確かなように思います。
ですから、若くして、すべて恵まれてトレーナーになった人はあまり続かないし、人を育てられていないのです。
本当の意味で、すぐれたトレーナーとは、自分のことで悩み、挫折したような経験をもつ、それだけでなく、他人の指導で日々それをくり返してきた人です。求めるレベルが高く、厳しくあるほど、そう簡単にうまくいくわけがないのです。
だから、私は、巷のどんなトレーナーもどんなレッスンも、大前提として肯定しているのです。どんなレッスンもないよりはある方がよい。それをどう活かすかは受け手の自由、その人しだいだからです。