ときおり、なぜできないのかより、なぜできたのかを考えます。できないことは、私を超えているのですから、考えてもわからない。できた人に聞いても、私にはできない、わかったらできるのではないし、できていないならわかっていない。しかし、できたことはできているのに、案外とわかっているわけでないのです。できた理由を説明しても、嘘くさいと思う。
こうして人に教えようとする。すると、正直になるほどに、ことばに苦労します。ようやくことばにします。でもどこか胡散臭く、自分をも騙しているように感じる。それを伝えても、相手が、やはりできないなら、なおさらです。
できたらレッスンにこない。できないからくるのです。でも、いずれできるようになる。そこで、なぜできたかをみると、私が自分のできていないことへアプローチする手掛かりともなります。
ウサイン・ボルトをみて、彼のように走ろうとするより、幼児に歩き方を学んで、オリンピックの100メートルで優勝する。そんな極端なことを詰めていくような作業の方が、案外と有意義のように思うのです。☆