相手が変わるのです。それがどうなるか、先がわからないこともあります。
オーディエンスや読者もそうでしょう。ずいぶん経ってから礼状が来たり、会いにきたりします。私自身、影響を受けた大半の人々には、すでにこの世で接することはできませんでした。
ということでは、本人、受け手の方も気づいていないことも少なくないのです。人に感化されたことは大きいほど、あとでわかることです。まだ、わかっていないことも少なくないしょう。親の年齢になってから親の影響がわかったり、子どもをもって初めてわかることもあります。一生気づかないで終わることもたくさんあるでしょう。
出会った人すべて、それぞれの感化がくり返されているのです。だから教えたり、変えようとしたりしたことで、相手がどうにかなったりするわけでしょう。
そういうつもりもないのに、教わったとか変わったと言う人もいます。教わって変わろうと会いにくる人は、主体的です。でも、目先のことをやりたいのにすぎないことも、多々あります。