大体、自分がわかるようなものを自分よりも天分のある人に教えようというのが、おかしいのです。若い人は将来性がある、今、才能とか実力はなくても、自分より長生きする可能性がある、そういう人は、自分を超えていくでしょう。自分が死んでも、生きているからです。その可能性のある人がいるだけで意味がある。自分はゼロになっても、その人は生きていくのですから。
まだ人生半ばにして「死して何を残すか」などと考える人はほとんどいないでしょう。
要は、こちらがわかっていないものの存在を伝える、ことばでくり返し、ことばの奥で感化するようなこと、それがレッスンだとも思うのです。