練習も表現も自由でよいのですが、自由では大して自由に動けなくなるからレッスンがあるともいえます。それについては、スポーツのフォームやバスケットのフォーメーションを例に述べたことがあります。自分勝手にやっても範囲が狭まり、固定化してくるものです。
自由にやっていたら、できたという人は、それでよい、というのは、それが理想だからです。作曲でも10曲もつくれば、普通の人はワンパターンになっていくものです。少なくとも、ここで関わる人には、そうならないために、理想をもちつつも、不自由な現実に対応をしていくわけです。
自由になるのに、必ずしも型が必要とは言いませんが、理想的に収まるところに、模範、基準はどうしてもできてくるのです。型、フォーム、メニュは有効なアプローチです。