以前は、カラオケで喉を痛めたという人が多かった。それをカラオケポリープと言ったものです。歌手や役者もステージが続くにつれ、そうなった人は多数いました。無知だったのではなく、それだけ全力で、声を使っていたということです。今は、うまくなったり強くなったのではなく、そこまで声を使わなくなった、正直なところ、使えなくなったのです。
昔は、喉を壊して、休んでは直した(それで強くなったとか、それがよいとは、私の立場上、言えません)。今は、壊さない、壊すところまで声を使わない、いや、使えないのです。
発声の知識の普及、研究の進展やトレーナーのおかげで、レッスンのレベルが向上したというならよいでしょう。でも、それなら日本の歌手や役者も世界の第一線にいっていなくてはおかしいでしょう。そこを顧みることなく、いくら新しく方法や理論を論じて正当化しても何ともなりません。
問われるものが変わったせいもあり、声のパワーそのものは落ちました。地声としての個性も弱くなりました。くせ声や変な声もあまりみられなくなってきたわけです。
声量を使えない、使わないのは、使う必要がないからです。つまり、相手が求めない、望まない、そこに合わせると、日本人の国民性もあって、発声の能力も閉塞していきます。