夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

わかるということ☆

2つに分けてみるのはものごとを捉えるときに、納得しやすい方法です。わかるは分けるからきたことばです。もちろん、わかることができることではありません。わかること自体は悪いことではないのですが、わかると思うことによって分けてしまったことを忘れてしまう、どちらか一方だけにしか目を向けなくなりがちなことに気をつけることです。

 わかることとできることとは違います。わからなくなくともできる方が、はるかによいのです。トレーナーは、説明を強いられることがありますが、アーティストは、作品で示せばよいのです。どうしてできたのかわからない作品の方がよいことが多いです。

 わかりたいから人は分けようとするのですが、分けたときに一方に偏り、他方を忘れてしまう、無視したり遠ざけてしまうのです。そうすると、奥行きがなく、深められずに大したものにならないのです。器が大きくならないということになります。それが基本が身につかないということです。

 

お笑い芸人の声の鍛錬☆☆

歌手やタレントよりも、お笑い芸人の声の方が勉強になります。そこに声量も個性も出ている現実をみると、そこに学ぶのが、声を出せるようになりたい人の正攻法です。私は、ずっと前から、日本の声の表現力の流れを(黒沢映画の)役者→歌謡曲、邦楽歌手→お笑い芸人と述べてきました。なぜ、芸人が歌も役者も、MCも声優、ナレーターもできてしまうのも声の力です。

1. 徹底したネタ(台本)での発声、読み合わせ、組み合わせ、メリハリ、大声

2. ものまねでの声のあらゆる使い分け(表現、所作、声色、間)

3. 舞台、笑いという観客のシビアな反応

4. 一流、ベテランとの比較、縦社会の序列

 お笑い芸人は、歌い手よりもはるかに身になる、シビアな状況での声の鍛錬を積んでいるのです。何よりも、絶対量です。

 そこで問題点として、大きい声、太い声、張りのある声、強い声が出ない、喉を痛めやすいことは、すぐに差として突き付けられるからです。

順番

先に、上達は順番ではいかないと述べました。高い声からの順番でうまくいくのなら、すでに日本にはグラミー賞はおろか、ブロードウエイでも、オペラでも世界的スターが生まれているはずです。それが、むしろ、遠ざかっているように思えるのは、なぜでしょうか。ノーベル賞アカデミー賞、オリンピック競技とか、向うびいきの向こうの土俵での戦いではないもので世界に出ていくというのなら別ですが…。

 声だけのせいではないのですが、声については、よくなくなっていっているというのが正直なところです。

 

方向性

トレーナー、師匠、先輩などを追うことの是非を述べてきました。最初は上の人を目指していくのもよいのですが、いずれ個人的資質の違いでの限界が出てきます。師が名人であるほど、それはうまくいかなくなります。名人に直接つくのはハイリスクなのです。

限界がみえてからは、一時止めて、上でなく、どの方向にどう伸びるかをみます。そこから、丸や正方形としての拡大、膨張でなく、楕円や長方形のように、方向をもって器を広げていくのです。ところが、ここで歌手なら、一方的に声域や音程が優先されてしまうのです。

 声優などでは、先述のb(器の応用)の中、あるいはc1(器の外)くらいで7つくらいの声を使います。仕事ではa(今の器)の自分のど真ん中の声は使えないこともあります。

しかし、私はaを拡大してのbとして、オリジナル、自分の声、本当の声というのを想定し、b、cの声を使っても、aに戻すクールダウンを課しています。

 aは、何時間どう使っても大丈夫の声、bは、制限のある声、cは、リスクのある声です。

ここで、やり方でやる人は、cが問題と思ってcばかりやるのです。が、基本はaをやることです。そして調子のよいときにb、cの応用をしてみること。それが仕事から声を守ることになります。できたら、表現や、作品をaの範囲内で行えたら理想です。

 私が外国人の歌手をみて、羨ましいのは、aが日本人のbよりも広く、そこで歌まで処理できているからです。これは結果論で、本当はaで歌うものなのです。☆

 向うから輸入されてきた声域に追いつかせようとしているままの日本人、声優やミュージカルはともかく、ポップスやカラオケでも、個性より、まねをとりたいメンタルを何とかして欲しいのです。

 

器の分離☆

a.基礎 今の器 

b.器の応用

c.器の外 c1.何とか c2.かなり無理 c3.できない

 これは声域のことでなく、質のことです。

 発声のできていない歌い手は、a、bがなく、c1のくせで歌っているのです。

 これを流用すると、よくある高い声の出し方が説明しやすいです。大半はa、bをも無視して、c1をc2かc3からもってきているのです。a、bに手をつけていない。声域は変わりますが、基本は身につかないのです。4、5年もやって身についたと思っている人は、その先の可能性がないとなる。初心者のときよりもよくなっていないのです。この国では、初心者の大半もヴォイトレでそうなっていくのです。どうして伸びていくのかよりも、どうして皆、伸び悩んでいくのかを学ぶ方とよいでしょう。☆

 これを、音感、音程や高音で例えていうとわかりやすいでしょう。器の外のcは一つの音を聞いて何とかそれにあてているレベル、bはメロディのなかで多少ぶれても間違えはしないレベル、aは声を出したらすべて最高に心地よいピッチしか出てこないレベル、となると、c.アマチュア、b.プロ、a.一流のレベルというようなものです。普通、人が考えるのと逆になっているのです。

 

次の器☆

1.今の器の確立、2.次の器の獲得として、2つに分けて考えます。実践した分、広がる可能性も早く尽き、やがて限界になってきます。今の器で、調整しつつも、次の器のための準備をしていくことです。それがトレーニングです。それで調整の度合いが緻密、確実になります。次の器もしぜんと今の器となっていくのが狙いです。

 やがて、その限界の外に応用された器というのがきます。その先は、本当に使える器の外での技となるのです。使う必要が出てくるときのために備えておくのです。☆特別な技は、非常時のためで、普段使うものではありません。しかし、それをもつことで、ゾーン状態のときなどハイレベルな次元にいくきっかけになるときもあります。

 そこも、何とかできるというのと、かなり無理というのと、ほぼできないというのに分かれるようです。

 

無限の声☆

私が求めるのは、目いっぱいで2時間、正味60分、日常なら8時間でも何時間でも使える声です。発声法でなく声として、です。体力、精神力の限度までです。

 トレーニングのメニュなら長くても15分~20分のくり返しでよいでしょう。10分も続けるとかなりの人は、雑になるのです。それで、10分くらいでのいくつかのスケールのメニュが一般的なのです。

 

ミックスヴォイス☆

声の高さ、大きさ、音色、どれを中心にするかで、それぞれに見方(基準、判断)が違います。音の高さで、歌唱によって発声を変えることもあります。私は、基本は、地声の1オクターブくらいを主にみています。

 高低2つ、中心となる声がある人もいます。地声、裏声ならそれぞれ別に中心を考えます。ミックスヴォイスは、よほどよいケース以外、ベースの力としての目的、基準に入れない方がよいと思います。高低の発声のレベルでは、柔軟に変るべきものとしています。再現のためには、嗄声(かすれる声)は、原則としてよくはありません。

 

正確さのために

個性(個声やオリジナリルのフレーズ)を出していくには、プロになってからでは遅すぎるともいえます。プロになる前か、プロとしての形が定まったときに器を考えるのがよいと思います。現実には、プロになるとともに、より安定した歌唱を求めていらっしゃるので、声楽ベースの補強で対処することになるわけです。

レーニングでは再現性を無視すると雑になります。表向きを整えるための安定のためでなく、厳密な再現性のために器を大きくすることです。これは、どこまでの深さと正確さで同じように出せるかです。私は、「正しい」「うまい」というのは、厳密には正確でないレベルのこととして 使ってきました。

 

プロの限界☆

プロには、プロとしての声が必要ですが、それは、再現性に支えられています。言い換えると、確実性、つまり安全性であり、バランスです。今の日本のステージでは、プロとして長期に、あるいは数多くのステージをこなすことを考え、守りに入らざるを得ないのです。レッスンでは、そこをしっかりと固めた上で、次にどのように進めるのかを相談します。今の活動にリスクをもたせるのは第一に避けることだからです。ステージでの声とともにヴァージョンアップ、クールダウン、不調時の調整までフォローします。

声の器☆

声の器を大きくするにも、いろんな考え方があります。声を要素として分けると4つくらいに捉えられています。1.声域 高―低、2.声量 大-小、3.音色(共鳴、倍音)、4.時間、長さ 長-短、そして、それを支えるものとして1.体、2.息、3.発声、4.共鳴というのがあります。

 器として、1.いまどのくらいもっているのか、2.どのくらいになれるのか、3.どのくらい必要なのか、どこまでの範囲を器というのか、などは、個々でなくては伝えにくい問題です。私は、2つの器を大きくする可能性から考えています。もちろん、必要なところまででよいともいえますが、大きく余力がある方が表現力は大きく、不調にも耐えられるからです。

強い喉

多くの人は全身から声を出したいのではありませんか。ですから、幼年期に、あるいは、赤ん坊のときに大声で出していた、そこへ戻り、声域も考えずに全身での声を取り戻す-そこまで基礎に戻るのが本当のしぜんでしょう。

 ところが、最近の問題は、戻るところの経験がないことです。ですから、全身で声を出すことの体験からして欲しいのです。

 うまいも正しいも、しぜんでなく深くありません。メリハリ、踏み込みは、本来、話声域として日常で覚え、使っておくことです。それがないので、低い声域で共鳴するベースづくりが必要となるのです。強い喉といっても、声を強く出してつくるのではありません。かといって、喉に全く負担のかからないやり方で回避しているのでは、強くはならないのです。