多くの場合、最初に見えていたはずのものが、渦中に入ると曇ってくるものです。青い鳥を求めるように、どこかに正解があると、それを探したがるからです。相手にそれを求めるのです。日本人は、殊にそれを他の人のもっているものへと追い求めます。追う間は、自分を見ない、見えないのです。この状況のままでは、何事も実現不可能です。
師とは、何かを成し遂げる人が自分自身を知るためにいるのです。いるだけでよいのです。
トレーナーと同じようにやりたがる人が多いようです。何をやってもよいのですが、もし間違えというのがあるとしたら、そこが唯一の間違えなのかもしれません。