真にすぐれた指導というものは、本人さえわからないうちに、本人に努力を強いている結果、本人の力でものごとを成し遂げさせます。そこで感謝もお礼も求めません。やれる人は自分の力と信じてやっていくからです。
本人がひたすらやりつつ、工夫しつつ、成功するまで続ける。そのようにしたら、その邪魔をトレーナーがしないことです。信じて待つ、見守るしかないのです。技術よりも精神的なことや思想の方が、ずっと大切なのです。
ところが、日本人というのは、類に交わり赤くなります。写しとることを上達を思うから、教え上手にいわれる人について、早く教えられて、教わったことに満足して終わるのです。もったいないことと思うのです。