声のトレーナー、それに似た職の資格をつくるという話は、いろんなところから持ち込まれてきました。私はいくつかの理由で保留しています。
1.定義ができない
2.出身畑(出自)がさまざまである
3.すでに多くの人が名乗ったり使っていて、それぞれに実績もある。今も多くの人が使っている
4.私的(個人的)あるいは、一門(流派)にならざるをえない、共通化にはよい面とともに悪い面もあるが、その範囲について見当がつかない。
ということです。
これには、MT(ミュージックセラピスト、音楽療法士)やST(スピーチセラピスト、言語聴覚士)のように、医療介護の方面から定義付けるアプローチもあると思います。
見当がつきにくいのは、整体やパーソナル(フィジカル)トレーナーとも似ています。カイロプラティクスなどは、狭義に定義し、試験制度、教育体制などを整えているようです。それを国際的に確立できたと、石川光男先生から賀状にて教えていただいたところですが…。
話し方などの分野も似ています。カリスマトレーナーの周りに一門ができていることもありますが、まとまってはいきません。
話し方のトレーナーは、元々、話がうまいのでなく、真逆だった人が、努力して一人前(もしくは一流)になったことで、そのプロセスを方法として伝えています。多くは、あがり防止といったメンタル的な要素です。
日本語の話せない外国人がいて、日本語教師が成り立ちます。日本人に日本語教師が成り立たないとまではいいませんが、日本人に日本語を教えるのは英語教師ほどの需要はないでしょう。
声や話や歌は、かなりのところ日常化しているので、何をもって身につけたのかがわかりにくいし、基準をどうするかが最大の難点です。
話のプロというなら噺家(落語家)です。二つ目、真打などの協会の定めるグレードが目安です(これも、2つの協会、2つの離反した流派)。
そこからみると、楽器の上達グレードなどは、中級者くらいまでは、かなり簡単に作成できます。楽器メーカーが、行なっているのが日本らしいところですね。
日本語においては、音声以外のことが主となりがちです。音声でも、発音、滑舌などの正誤で判断しやすいものだけが、習い事となると、プログラム化しやすいわけです。