夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

声を学ぶことの難しさ

 自分の世界をつくっていくことは、保守化していくことになりやすいものです。トレーニングは、表現世界でなく、そのためのプロセスなので、異なるものです。

 人に教えられることが、どこかに属するということになると、表現のための基礎トレーニングが、トレーニングのためのトレーニング、理論や知識の獲得のためのトレーニングになりやすいのです。ことに日本人はそういう傾向があります。

 ヴォイトレでは、声の表現をしっかりと詰めていくことです。細かく繊細に、丁寧に詰めていくことがトレーニングに必要です。レッスンで他人の耳を借りて多角的にチェックしたり、アイディアを得たりしていくのです。

 声が音声での表現の基礎でありつつも、全てを担っていないということが、この問題をややこしくしています。

 歌手にとって発声は、基礎ですが、その習得のレベル、声を占めるその人の表現(歌)に対しての度合は、アーティストによって違います。

 だからこそ、私は一見、逆の方向に、音声、表現、舞台の基礎として、ヴォイトレを位置づけているのです。声は歌やドラマのすべてを担っているのではありません。音響技術のフォローや聴衆の観客化によって、声の力の必要性は失われてきています。

しかし、ヴォイトレですから、私は目をつむった世界(レコード、ラジオ)で、耳だけのアカペラでの声力を基準にしています。時代に逆行しようと、そこを外すと声の基準は、とれなくなるのです。だからこそ、表現についてどう観るかの眼も、どう聴くかの耳も両方とも大切だと思うのです。