トレーナーが、あなたの好きな音楽や歌の話がさほどできなくてもよいでしょう。誰も私にAKB48のオタク専門知識は求めません。そういう話は、仲間とすればよい。仲間とトレーナーを兼任(なかには、飲み仲間にまで)するのはお互いに無駄が多いのでないでしょうか。無駄こそが人生ですが、それではあまりに人間関係が狭すぎます。声のヘルパーには、たわいないおしゃべりしている暇などないのです。使い方としてもったいないですね。
お金を払っているところで、それを求めるのは最初から違うのです。レッスンで、非日常の世界へのガイダンスをする、そして、別次元へ連れていくのがトレーナーです。スタジオを、いらした人のそのままの声なり表現でそこに満たし、日常化してしまうのではもったいないです。
「日常のアナタ、違っていないが、まだまだだ」「だから、変えていこう」がトレーナーのメッセージです。
「(非日常の)トレーナーさん、これで合っているでしょう」という確認は不要です。
でも、この時代、多くは「日常のアナタ、そのままでよい、そのまま続けよう」になっているのです。自分で続けてきたけど、まだまだだから変えようとなるレッスンが、続けていないため、やりましょう、続けましょう、になる。スタートラインとしてはよいのですが、そこからスタートしないとそのままなのです。そこはトレーナーの実力の見せ所です。