実践と練習をどう区切るのかは、それぞれに違います。本番、試合、ステージで行うことを一時ストップして、それと別のことを練習として行うのです。実践の経験は大切ですが、それだけでは向上はしないからです。
レッスンにも実践的なことを求める人は多いのですが、実践的なものほど、そのままに通用することを求められます。だから高まり深まることには不向きです。
型について述べてきたのもそのためです。型が面倒な作法にのっとるのもそのためです。
声や歌を聞く、少数の天才は、そこからすぐれたものを見抜き、自らのすぐれたものを伸ばすのに使います。しかし大半の人は、最初は、すぐれたものをすぐれていると感じられず、その本質が何なのかを見抜けません。そこを、誰かに、あるいは何かに教わります。レッスンもその役割をもっているべきです。
一流の作品をすごいと思うのが感性とすると、天才も同じく一人でなしえているのでなく、教えられ学んでいるのです。そこから自らをすぐれたものとして発現させていけるのか、まねして亜流に終わるのか、そこは学び方の違いなのです。