たとえば、「ひばりの歌は、歌っているひばりとそれを正しているひばりと、遠くから、その二人をみて正しているひばりがいる」ようなことを、言ったことがあります。その役割は、ひばりの母親と大正時代のレコード、まわりの一流の歌手や役者だったと思います。
声を出す、それをチェックする、それで進んでいくのではなく、もうそれはチェックされて出ていて、全体の終わるところからみているひばりがいる、彼女の作品にそう感じたのです。
木のなかの仏を掘り出す、キャンバスのなかに人物を描き出す、そういうのを歌という時系列のものに当て嵌めるのは難しいことです。
しかし、ひばりにとっての歌は、時間ではなく、空間であり、演じる場で、絵を描くようなもの、立体的な3D=リアルそのものだったのでしょう。