最近、私がよく話すことを加えて、アドバイスにします。
ヴォイトレというのは、「トレーニングですから、役立つように、自分を変えるために使えばよい」ものです。
つまり、役立たなければ、よい方に変わらないなら使わなくてよい、使わない方がよいのです。
「ヴォイトレをしないと○○になれない」というのではなく、足らない分を補強として行うからトレーニングなのです。
そこでは、目的や手段の具体的な設定こそが肝心なことなのですが、声に関することでは、とてもあいまいです。
そこで、きちんと基準を設定できる力、判断できる力をつけていくことこそが、トレーニングの最大の目的です。
ヴォイトレが普及したのはよいのですが、「もともとなかった」のですから、それに囚われすぎるのはよくありません。
ヴォイトレのなかで、いろんな考え方、方法、メニュがあるのは、よいのですが、それを「間違っている」とか「効果が出ない」などと言う人まで出てきました。
なぜ声を出して何かをするというポジティブな分野に、ネガティブに人生の時間を浪費するような考え方、使い方をするのかと思います。
ヴォイトレが、トレーニングであるなら、それは“効果を上げるために”するのです。