欧米の流行をまねてきた日本では、声や歌の完成に伴わない分を機材(ハード)、そしてヴィジュアルで補っていきました。
それこそが、今やヴィジュアル中心で世界に評価されるようになったJ-POPでの裏に隠れた真実です。音声だけで成立しないための演出面での工夫が、日本人得意のヴィジュアルでの表現形態を発展させていったのです。
今の時代、かわいくない、美しくない、かっこよくない、ルックスのひどいヴォーカルが日本ほどどこにもいない国はないでしょう。でっぷり太った歌手さえ出なくなりました。これは、アナウンサーや声優、役者にも通じます。
少なくとも昭和の時代はそうではなかったはずです。一芸に優れたもの=当時のタレント性が決め手だったから、人々の生活に必要だったのです。歌手の場合は、歌=歌唱力と声でした。
おのずとプロデュースもヴィジュアル本位の方向に行ってしまいます。音声で表現する舞台にこだわった私は、ストップせざるをえなかったのです。