ヴォイストレーナーで、基本をきちんと勉強し、声楽科を出たような人は、発声や歌唱を、正確さ、安定度を重視して歌い手をみるものです。そのことは問題です。歌い手としてなら、その活動でみることです。
ヴォイトレで「育てなくてはいけない」と思うと、そういう正しさといえる基準にもっていきたくなります。教材をマスターしたというのは、わかりやすい努力目標になるからです。それが「安定のためのローリスクな発声」の方向になっていくのは理解しています。
何もないよりは、こういう技術は確かだからです。と言っても大きな面からみると同じことで、最後に「情熱や衝動」というのがくるのか、勝負はそういうところです。
ミリオンセラーのあるヴォーカリストが、世界との差を知り、力のなさを知り転向してしまったのを、私はその時期、接して案じていたのですが、それはネタ切れでした。ステージで次々と即興のフレーズが生み出せない点でした。最初は声の問題でしたが、私はトレーナーとして否定しました。今の世の中、声そのものは何とでもなるからです。メインのヴォーカルがDJ、それでよいかどうかは、考え方次第です。でも、日本ではDJの方がはるかに即興性はあります。
一流のレベルからは不要だが、一流のないところでは、そこが基準になってしまうのです。芸や才能でみずに、やる気と体力と忠誠心でみているのは、サラリーマン社会のようです。