聴覚は嗅覚、触感に近いもので、深いところにのっています。コーヒーを飲むときは、味覚に嗅覚を伴います。しかし、視覚も関係しています。多くのものは視覚を介して入ってきます。視覚は対象を客体として客観視します。こちらからみて、よいとか好きとか判断します。
歌やせりふでも絵や書でも、立体的(もう3Dといいます)に生き生きと生命力をもって働きかけてこないものは、私には、芸術でありません。ただ、音や声は、もう少し絡まり具合がややこしい。よいもの、好きなものでなくとも、まとわりついてくるのです。
聴覚は、手で耳をふさがないと拒絶できません。視線を変えるくらいに簡単に拒めないかもしれません。
嫌な絵がかかっていても見ないようにすればよいのですが、嫌な音楽、それも歌が流れているのは耐えられないのではないでしょうか。
深く生理的なことだからです。好きな人には触られたくて、嫌いな人に触られたくない、しかし、その好き嫌いは、さして原因があるわけではありません。どうでもよいとき、鈍いときもあれば、敏感なときもあります。気分で判断されるのでは、歌手もたまらないでしょう。因果な商売です。