筋トレで、速く走れるようになり、重いものを持ち上げられても発声とは関係ない、確かにそうでしょう。でも、歩くことも荷物を持つのも疲れるような人が、体力をつけようとしないとしたら、それは発声力の上達どころか、維持を妨げます。
私が否定するのは、強化といって繊細さ、丁寧さが消えてしまうケースです。☆
その繊細に扱える能力を増すために強化するのです。強化というのは、筋肉の強化のためにするのではないのです。二極で考えるのはおかしいでしょう。
雑に荒々しくなったら、それを元に戻してチェックしてみるとよいのです。より繊細で丁寧にできるようになったかということです。そこを確認しなくては、実践に使いようもありません。
かつての、よい状態に戻して、終わりでよいのでしょうか。守りに入っては、いずれ実力は落ちていくのです。しかし、強化しようとしたら、声は雑に荒くなるからダメと思うような、軟派な輩が多くなりました。やってみてダメを心配する前に、元にもどしたままでは、新たに何もやっていないのと同じと思ってください。そこを超えるために工夫して行うという発想がないのでしょうか。つまり、将来に獲得できる大きな器のときにはどうあるべきか、というイメージ、ヴィジョンが欠けているのです。それなら、そこにトレーニングなどということばを使わないでほしいものです。