夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

可能性か限界か

最初のやり方の固定、偏見や思い込みが後の障害になる、これこそが基本の大切さ、応用から入ることをよしとしない理由です。しかし、より大きな眼でみれば、全体も自分もみえないのだから、最初は、目一杯、応用、つまり実践してみる、そこで、試行錯誤してみるのはよいと思います。

大したことのできないうちは、間違っても大した深手にならないのだから、大きくみて、思いっきりやってみる方がよいと思います。他の人に一方的に教わるのでなく自分で行って失敗すること、自分一人ではできないと限界を知ることも大切です。

 自らの可能性の限界に気づくと課題がみえてきます。基本の必要性が何たるかが具体化してくるのです。そこまでに3年くらいかかってもよいのです。

 その上で、私はどんなレッスンでもいろいろと受けることを勧めています。それも、依存せずに早くレッスンで自分の限界を知って、常に基本の必要性を突きつけられていて欲しいからです。

基本のレベルと演出での錯覚☆

先に求めるレベルが、後ほど基本に関わってきます。「基本とは一流のプレイヤーが共通してもっていて、そうでない人がもてないもの、プロのなかでもその差が一流との差となる」と、基本を説明してきました。初心者が、最初に習得するのが基本というのとは全くもって異なります。

 目標や必要度をあげなければ、声は曖昧で大して客観的には評価できないからです。呼吸法や腹式呼吸でも10年、30年、一生ものという人と、30分で身につくという人は、言うまでもなく求める世界もレベルも全く違うのです。

 また公開セミナー、ワークショップ、一日とか一時間の体験レッスンで問われるものも違うでしょう。そういう短期での効果を問われる場に出ると、トレーナーは演出家になってしまうのです。あたかも素人TVに出させるときの演出のようなことに長けてきます。スクールの体験レッスンなどで力のあると思われるトレーナーもその類いです。

 研究所には、レッスン歴5年などあたりまえ、10年、20年という人もいます。そのキャリアは声に紛れもなく出てくるのです。そこと音楽的才能とは別のことですが。

 また、ライブやイベントをスクールの仲良しサークルでというのでは、10年続けて20年というものの意味が違います。私はイベント、ライブ、合宿、公開セミナー、ワークショップをやめました。ここでの目的は、声と表現の探求、本当の基本のマスターなのです。

プロとアート

トレーナー自体、ヴォイトレの途中で挫折したが…というのなら、まだよいのですが、自分は歌えている、完成していると思っている人が多いのです。だから他人に教えられると思うのです。

 ここは批判でなく、「日本でヴォイトレが失敗」、いやまだ啓蒙期ということを論じています。それは、誰か個人への批判でなくヴォイストレーナーという職が失敗ということなのです。

 日本でヴォイトレは一般化し、普及し、成功したと思っている人には、私からは何も言うことはありません。「教えていた人が喜んでくれた」「うまくなった」で成功というなら、そこで充分という考えもあります。

ただ私は欲張りで、その結果の声やその歌で感動できなければ、全くもって足らないのです。失敗ということばはやめたときですから使いたくありませんが、これまで現状で満足というレベルでは、一度もやってきませんでした。生徒さんやクライアントよりも、まずは自分の問題として、今もそれは抱えています。声そのものの完成へのプロセスとは、芸術的な使命感です。ただ仕事としては、歌手もトレーナーも、声単独でなくトータルの中で問われるものだから、相手の求めに応じられたら許されるともいえるのです。生徒が満足したら、それで充分、そこに私は甘えたくないのです。

途中レベルでの完成

誰しも、順番通りに行けばよいと思うし、トレーニングすると順番によくなると考えるのではないでしょうか。早く1、2、3と行くと、早く5、6…と行くと思いがちです。そこが落とし穴というのを指摘してきました。

人によっては、かなり限られた人ですが、順でいける人もいるのですが、そういう人の大半は、レッスンにこなくても、かなり先まで自力でいけるのです。

 レッスンに来る多くの人は、この第一のところで引っかかっているのです。聞き方や声の感じ方、見本からの学び方とともに、自分の問題、何が限界をつくっているのかに目を向けなくてはなりません。さらに、目的の優先順に項目を立ててチェックしてみるとよいでしょう。

 この途中のレベルまでは、声や歌の問題としてあがってこない人、大して才能や声に恵まれていないのですが、日常やカラオケでは、周りからできていると思われる人に多いのです。下手ではないことで下手な人からうまいと思われてしまうのです。途中のレベルなのに完成してしまう、つまり、限界が来てしまうのです。こういう人は、最も効果が出にくいです。初心者が慣れて頭打ちになるのと似た状態です。

 レッスンに絡めていうと、スクールなどで、すぐにトレーナーになることを推されるような人に多いのです。そういう人も、時折こちらにいらっしゃるので、よくわかります。器用なので、一見、うまく教えるのに向いていると思われてしまうのです。私の経験では、どちらかというと逆なのです。

習得は順番通りにいかない

大雑把に考えるだけでも、

 1.ある高さに声をあてる、届かせる、2.歌に使う高い声にする、3.歌で高い声をこなせる、4.歌で高いと思わせずに出して表現できる、5.人がうまいでなく感動する、6.その人の世界を支える、7.基本を身につけつつ安定させる、8.確実なだけでなく進歩していく、9.未知の可能性に挑む、10.ケアと維持、調子が悪くても出せるしフォローができる。

 いろんなレベルがあるのです。では、早く1、2、3と進めばよいのかというと、そうではないのです。順番通りの人は、1、2年で1から3くらいに到達して、そこで終わりです。本当によい歌い手は、1→3はなく、10→6と入ります。1→5は同時に成り立たつまで待つのです。

プライオリティ

単に、音にあたればOKとする人もいます。私のところでも相手によってはOKです。アイドルグループや結婚式で一回だけ歌うためにならOKです。マイクを使って誰でも早くできるやり方も選びます。

 トレーナーは全体をみた上で、その人の望むものを与える、そのときに時間や費用といったものに対する効果も考えます。

 本当は、研究所では、そういうふうに効果を考えないのを理想、本質としています。「誰でも早くできる」というのは、すでにその目的自体が、芸や芸術としては、価値のないものを目指しているわけです。一生かかって自分の声に対して育てていく、世に出せる力と、それを持続させる力は違います。本当の力をつけたり、深めたり、ケアしたりするのは、短期で目指す効果と全く違うのです。

本当の目的

三人の煉瓦職人に「何を作っている」と聞いたら、それぞれ「壁だよ」、「家だよ」、「街だよ」と答えたという話をしたことがあります。ここからは、本人の目的と方法と、それを教えるトレーナーのスタンスについてです。

 目的が、高い音にともかくも届かせることなら、普通の人でも、4、5オクターブは出ます。(歌はなぜ2オクターブ内なのかについて述べたことがあります)トレーナーが「誰でもそのくらい出せます」と声域を拡げることだけを教えるなら、あなたもその日のうちに3オクターブくらい出せるでしょう。

 もちろん、歌ですから歌える声であることが必要です。では歌える声とはどういう声でしょう。その判断のレベルが、トレーナーの質を分ける大切なところです。その高さにギリギリ届くところでよいのでしょうか。ピアノでいうと、両端のキィでは、ピアニストでもあまりよい演奏は期待しにくいでしょう。

 研究所ではその基準を、一応は、声楽でとっています。といっても、声を出す支えについてで、オペラで通じなくてはいけない声、というレベルではありません。発声において、確実にリピートできて、しぜんな共鳴を伴うのが基本です。大きくも長くもでき、メロディやリズムも発音も対応できた方がよいということです。このあたり、質の問題です。

歌の声

レーニングとは、器を大きくするために行うもの、地力をつけるものです。問題があってそれをできるようになりたいと思います。問題は何でもよいわけです。大体は、それをうまくいかなくしている別の問題が隠れています。それらが矛盾して問題が露わになると、そのことに関して、解決へのスタンスがとれます。

 声を、ことばで使ってきたが歌で使ってこなかった人は、高い声が出ないです。高い声を使ってきていないからです。歌の特徴は、話すよりも高い声域を使うことだからです。

 昔は、第一の問題は、およそ大きな声が出ないことだったのです。日本では、かなり早くから声域と優先順が入れ替わりました。ヴォイトレがそうしてしまったともいえます。ポップスでは、声量はマイクが補助できるからです。

 研究所には、マイクを使わない声の仕事の人がたくさんいらっしゃいます。☆

これは、ヴォイトレをマイク前提で行うところが多いということの裏返しです。歌唱の声中心に即効果を目指すからです。

 高い声を出してきていない人には出させたらよいのです。レッスンにくるのは、うまく出せない、出し方がわからないという人です。

しばらくは、高い声を例にしますが、この解決法をここで述べたいのではありません。ほとんどは自己流で出して、うまく修正できないというケースなのです。その場合、いくつかのポイントを与えて高い声を導くことになります。しかし、ここで大切なのは、うまく出せない、では、うまく出せるとはどういうことかということです。

 

レッスンスタートでの差

まず、今まで声としてしっかりと出したことがないケースなら、これは声で出してみればよいのです。それを初心者といえなくもないのですが、声の場合はやや複雑です。というのは、その年齢まで、ずっと声は使ってきているからです。ピアノのような習い事と異なり、生まれたときから使っているのです。同じ年齢でレッスンが初めてという人でも、これまでの育ちのなかで大きな差がついているから、ややこしいのです。

 1.素質、2.育ち、そして、3.フィジカルの力、4.メンタルの力がかなり違っています。

 以前は、ここにレッスンにくる人は、ハイレベルとローレベルの人の分かれると言いました。声やことば、歌は日常的に接しているものなので、中レベルの人は、問題に感じないのです。しかし、多くの人が声もことばも歌ももっとよければよいと思っています。それは、そのときの優先順によるわけです。ときとして、声が絶対的でない分野からくる人に、とてもハイレベルで勘のよい人がいます。

関連のデータ☆

思いつくままに、今、頭に入っていることで、これまでに述べたことを挙げておきます。いくつかの問いに対しては、次のなかに答えがあるでしょう(直接、このタイトルでアップしているのでなく、触れていることです)。

・2014年、紅白での「アナ雪」の比較

・目の日本人、声の西洋人(欧米ほか世界)

・日本人の視覚優位とヴィジュアル化での世界進出

・声を使わぬ生活、声を出せぬ体へ、音声表現の不要化

・日本人とハーフ、帰国子女、留学生の比較

・文明開化、大正ロマン、昭和前期の大人の文化と平成の子供の文化

・邦楽と声楽・洋楽の共通ベースとしての声

・アニメ、声優、役者、歌手、タレントの個声の消滅

・悪役声、ダミ声、男性声、鋭、太、低、強(大)の声の風化

・役者、特に若い男性での欧米、中韓との比較

・日本人の顔、体型、食生活の変化

・日本人のフィジカル、メンタルの弱化

辛辣にみる

これを、ヴォイトレを受ける人と一緒に、ヴォイストレーナーが読んでくださって、感想や質問をいただくので、ときどき、まとめてお答えしています。

 私は、個として活動している他のヴォイトレを否定しているのではありません。私は、自分以外のトレーナーとの共同作業を最大に最長にやってきています。よいとこ取りの共同作業のできる組織として運営しています。そして、こうして述べるほど自己否定になっていくのです。自分のことばが自分たちに突き刺さるのです。

 この分野は、ここのトレーナーも含め、誰でも自己肯定でやっています。私一人くらいは足元を、今の日本の声の状況を辛辣にみるのも必要に思います。

 ここで、一言で両断したものの根拠などは、これまでに述べています。「昔はよかった、今はだめ」の年寄りの口ぐせにならないように、客観的な事例とともに述べているつもりです。「論点」などもご参考に。

声だけでなく、その背景にある日本人の聴く耳や、世界の人の声について、また、21世紀に入っての日本人の価値観の変容についても、広汎に触れているつもりです。

ケアからキュアへ

始めた頃、「ヴォイトレがうまくいっているのは日本ではお坊さんだけ」と私は言っていました。最近は、お坊さんも声を壊してくる、と関西の声の治療の第一人者が述べていました。

 うつ防止やストレスの解消などに、代替療法やヨーガのようにヒーリングとして使われ、効果が出ているのは確かです。そういう流れで、私もリハビリ関係にいろいろと関わるようになりました。

 「多くの人はヴォイトレよりフィットネスジムへ行くとよい」と公言していたのが、現実になってきました。いや、ジムといっても鍛えているのでなく、癒しに使われるようになってきたのですから、私の理想から遠ざかっていることになります。

ヴォイトレも、うつ病防止、アンチエイジングとして、口腔ケア、認知症防止などの施術レベルで広く普及しつつあるのです。そういう調整、私が思うに医者やST(言語聴覚士)、あるいは心療内科や精神科などで行うことが、私のヴォイトレの仕事にも入ってきたのです。そういう人たちはヴォイトレで効果を上がっていると言うでしょう。それは本当です。私もそこに関しては、ときには医者の紹介を受け、それに近い設備も備え、センサーも使えるようにしているのです。それにしても、ヴォイトレで、ケアはともかく、キュアはメインでなかったのですが。