トレーナー自体、ヴォイトレの途中で挫折したが…というのなら、まだよいのですが、自分は歌えている、完成していると思っている人が多いのです。だから他人に教えられると思うのです。
ここは批判でなく、「日本でヴォイトレが失敗」、いやまだ啓蒙期ということを論じています。それは、誰か個人への批判でなくヴォイストレーナーという職が失敗ということなのです。
日本でヴォイトレは一般化し、普及し、成功したと思っている人には、私からは何も言うことはありません。「教えていた人が喜んでくれた」「うまくなった」で成功というなら、そこで充分という考えもあります。
ただ私は欲張りで、その結果の声やその歌で感動できなければ、全くもって足らないのです。失敗ということばはやめたときですから使いたくありませんが、これまで現状で満足というレベルでは、一度もやってきませんでした。生徒さんやクライアントよりも、まずは自分の問題として、今もそれは抱えています。声そのものの完成へのプロセスとは、芸術的な使命感です。ただ仕事としては、歌手もトレーナーも、声単独でなくトータルの中で問われるものだから、相手の求めに応じられたら許されるともいえるのです。生徒が満足したら、それで充分、そこに私は甘えたくないのです。