ここまでで、もし巷のヴォイトレやヴォイストレーナーの批判のようになってしまったとしたら、私の筆力不足です。本意は、どんな方法もどんなプロセスもどんなトレーナーも、多様にあってよいし、それぞれにメリット、デメリットがある、だからこそ、本人がその位置づけ、スタンスをきちんとつかむことが大切ということです。そこでトレーナーが必要ということ、それを満たすようなトレーナーが、それほどいない理由を述べました。そこが、トレーナーとしての弁解になっていなければよいのですが。大きな問題提起をしたつもりです。
本人が考えたり感じたりしていることや、その方法、実感に対し、今はまだ考えられない、感じられない真実もあります。そこへの予感が、実感以上に大切ということです。