声の世界について、みると、そこも広く深い世界です。あらゆるものが繋がっています。日常にも仕事にも声は使われていますから、芸として声を切り離すこともできません。これまで使ってきたプロセスも全て刻まれているのです。
そういう面ではトータル、あなたの心や体と同じ、生きてきた結果としての声です。声も総合力なのです。それが即効的な効果として機能の向上としてのヴォイトレとして求められてしまったのが、大きな方向違いだったと思っています。
すでにあなたの声だから、自分の声、本物の声といって、今の声を捨て、新たに声をつくるのではありません。別の声を真似したり、それらしくつくってみても、ものにはなりません。
歌唱やステージに対して安易に声を扱うと、接客サービス業の声のようにマイナスでない、反感を買わないような声、つまり、説得力のない、浅く若い声になりがちです。これは、本物の芸に逆行します。
昔は、幼稚な声、甘えた声では通用しなかったのが、一般社会だけでなく、仕事や芸の世界でも許されてきたかのようにみえます。誰も注意せずスルーしています。だからといってよいわけではないということを知ることです。☆
成り立ってなければダメだったのに、音声で厳しく求める人が少なくなり、問わなくなったとさえいえます。音声で成り立っていると、すごいということになるのです。今のところ、日本=日本人の声の劣化=耳の劣化(変容でもありますが)は留まるようには思えません。