自分を客観視するのに、他に考えてしまうことが邪魔するのです。邪心があると、自分をそのまま、ありのまま現実として捉えられなくなるのです。
踊り手やモデルなら、他人の眼にどう映るのかを、鏡をみて徹底して客観視するトレーニングをします。ヴォイトレも観察の一つですが、目でみることができないので難しいのです。耳で捉える世界です。
でも、観て察するところは同じです。現実に対しての虚構、自分の声と自分の思った声とにギャップがあるのです。
これは、耳から聞こえる声と録音再生の声の違いということではありません。あなたがよいと思ったり求めている声と、本当にあなたのよい声、価値のある声とが違うということです。
声が捉えにくいのは、絵のように視覚でないためです。現実の声とその働きかけということに距離がとれないのです。習字なら生徒の書いた字に先生が赤を入れたら、違いが距離として明示されます。声は音波振動で聴覚ですから、そうはできないのです。
研究所では、声紋を分析して声をヴィジュアル化して提示はできます。でも、そこに他人の声での修正を加えてみせることはできません。本人の修正は、本人の声でしかできないのです。