覚えたままでなく、忘れては、常に返って事にあたる。
つかんだという確信がないから、また消えるのであり、まだ本物でないのです。
説明のつかない世界に中途半端に頭でわかって直そうとしても、完全に直っていないし壁も破れていない。そこを抜けそうなときに安心するのか、特訓するのかで180度違ってきます。
教わったりまねたりするのでなく、がむしゃらにやっているなかにノウハウを会得していくのです。
自分以外のものに取り込み、自分以外のものが自分となる。自分対自分以外のものでは、ないのです。
「自己を習うとは、自分を忘れること」と「正法眼蔵」にもあります。