一流は、「誰にも似ていない」「個性的」である、というのを、ヴォイトレであっても、どこかに掲げておくとよいでしょう。
ヴォイトレをしていない人が、あまり個性的に声を出そうと考えてしまうと、ただの一人よがりになります。しかし、ヴォイトレでは、「正しく」とか「まねる」が、一方的に目的になりやすいものです。仮にヴォイトレが正すものとすると、それを正しているトレーナーに習う人が似てくるのは仕方ないのでしょう。
人間としてのベースの基本は、同じもの、共通性に基礎をとるのですから、肺が2つとか、呼気で歌うとか、そこは発声にもそのように共通なものがあるのです。
でも、一流となると、体、顔の形や性格のように、誰一人、同じ人はいない、いや、アーティストなら、同じような人は要らないのです。そこを忘れてはなりません。
型は自由を得るためであるとくり返してきました。一流は、人と競うのでなく、人に合わせるのではなく、自分を出すのです。