私自身はトレーナーが常に完璧で、完全な声の体現をしなくてはいけないとは考えていません。私も常に自分の声を整備し直しています。邦楽の指導の準備もありました。
多くの方は、教えている人は、教えられる人よりもずっとすぐれていると考えています。声についてもそうでしょうか。歌や大声、高声、演出、伴奏などで、あいまいになっていませんか。
邦楽・オペラは、師や先生の元、弟子や生徒という、年齢もキャリアも実力もおよそ教える人の力よりも下の人が学びにきます。
しかし、すべてがそうでしょうか。一流のシンガーをみている欧米のヴォイストレーナーは、少なくとも、歌においては、そのシンガーに劣ります(何を歌というのかによりますが・・・)高齢のオペラ歌手が、全盛期のプリマドンナを教えるときに、声ではかないません。全盛期にも、その弟子以上にできていたとは限らないのです。
歌とヴォイストレーニングは、専門分野として違うのです。レッスンで教える関係、能力を見抜いたり、引きだすという関係は、多くの人が考えるほど、ワンウェイではないのです。
関脇止まりの親方に、横綱や大関の指導ができないわけではありません。比べものにならないほど難易度のあがっていく体操やフィギィアスケートの若い選手を、20年前の選手は、そのプレイができなくても指導できます。試合で活躍したことのない選手に、全日本の監督やコーチはできないということもないのです。
どんな分野でも本人ができることと、教えることは必ずしも一致しません。できなくともできる人よりも教えられる人も、できるのにできない人よりも教えられない人もいるのです。