一般的に、人が群れて、それに馴染めるようなところに行くと、人は仲間になりたいと思い、しばらくは同調するものです。しかし、だんだん鬱陶しくなり、離れるか無視するのか選択を迫られてしまうのです。子供たちの成長や、自立もその表れです。
宗教や音楽、スポーツ、ときには、政治や市民運動など、集団のあるところでは、こういう状況がでます。祭りなどもそうかもしれません。そこはピークで納めないとだらけてしまうのです。それゆえ、どんなことも内実を失わず続けるのは難しいものです。
人として、誰もが集団や組織を羨ましくも思ったり、逆に、そこに関わり拘束される鬱陶しさを感じたりして過ごしているものと思います。そういう組織を判断するには、どうするのかという問題もあります。どの時代でも、コミュニティは似た問題を抱えているものです。
研究所という装置、体制も、自らの体系や組織を否定できるところまでつくって、実行できるくらいのものでありたいと思うのです。ある時期から組織でなく、個対個のよさを最大限に尊重するように改革してきました。
伝統の重みで潰れたものを見ると、守りに囚われて、創るために破壊する力をつけるのを怠ったからのように思えます。そういう人材を育てたり受け入れなかったからでしょう。何事も、守りに集中して自己保身に囚われては、本末転倒なのです。