どんな方法、メニュも、とは言いませんが、基礎ということで行うなら、やがて声は一つの大きな動きとなります。流れるように柔軟にしなやかに結びついて一つのまとまりとなります。そうならないものは、現実に使えませんから省いていくことです。なのに、そうならないもので何とかしようとするから、後で伸びなくなるのです。
歌やせりふの中心で声がコントロールできないのは、かまいません。気持ちと声がバラバラになり、両立もできないからトレーニングするのです。目的が高いほど、早く身につけようとするほど、無理がきます。無理とは、トレーニングそのものが無理なものです。無理に対して無理を通すのです。
なのに、「トレーニングするとしぜんでなくなる」と言うような人がいるのは、おかしなことです。「トレーニング」も「しぜん」も定義して使うことです。そうでなければ、「しぜんでないようになってないと悪いのか」「歌もせりふもしぜんなはずはないではないか」のような反論もできるでしょう。「トレーニングは部分的、意識的であり、それゆえにトレーニングにすぎない」と説明しています。
一つのプロセス、一つの体、一つの声を分析して、それぞれのチェックや調整から強化をするのがトレーニングです。